神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、 万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終りである。 わたしのほかに神はない。
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
われわれの間には、 われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。 その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。 これは、「神われらと共にいます」という意味である。
それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。